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私。あなた。

全く違う人生を1人1人が過ごしている。

 

日本に住んでいる私。

アメリカに住んでいる人たち。

ロシアに住んでいる人たち。

発展途上国で住む人たち。

紛争地域で住む人たち。

 

私はロシアと日本のクォーターであり、幼い頃家族と共に故郷を追われた難民でもあります。

詳しいことは後で説明しますね。

 

 

 

私の名前はロシアでも日本でもメジャーな名前とされているАнна (アンナ)といいます。

名前の由来は聖書のマリアの母 アンナだそうです。

 

そして現在は日本で大学生をしています。

今思い返せばそれは、母の大きな愛のおかげなのだと強く感じました。

 

私の事を1人でも多くの人に知ってもらえたら嬉しい。

そんな思いでブログを書こうと思いました、是非最後までお付き合い下さいね。

 

 

 

紛争地域で生まれた子

 

西暦1997年5月24日にロシアのチェチェン共和国のグロズヌイで生まれました。

母から聞いた話ではありますが、その際、ロシアとチェチェン共和国が停戦協定を組んだ直後であり、当然ロシア人の数は極少数だったと聞いてます。

 

停戦直前に私の父は亡くなってます。

なので父とは会ったことないんです。

 

父方の家族の事を思ってか母は最初グロズヌイから出たがらなかったようです。

そして私が2歳の頃また紛争が始まるとなり、とうとう私達ロシア人もグロズヌイにはいれなく、母が日本人の血が入っていた(ロシアと日本のハーフ)ため、母方の家族がいる東京で暮らすことになりました。

 

私にはこの頃の記憶がありません。

 

父方の家族が今どうなっているか連絡がつかず今もわからない状態となっています。

 

 

 

東京で過ごした幼少期

 

東京に来た直後はまだ赤ちゃんな私。

母方の親の家に部屋がたくさん余ってるとの事で東京都大田区で生活することになりました。

 

祖父がロシア人。祖母が日本人。母がハーフ。

の環境でいたために今でもロシア語と日本語はペラペラです。

ありがとうございます。

 

 

小学中学高校

 

私は何も知らずに生活していました。

小中高と女子校に通わせていただき本当に母には感謝しております。

どちらかというと私は日本人の顔ではないで普通の学校だったらきっといじめられたのかも.....なんて思ったり。

 

そして小学に入るのと同時に習い事を。

バイオリンです。

本気でやるには少し遅かったのかなとも思いますが、そこは良しです。

バイオリンが好きだったので毎日家で3時間練習して、週に3回は先生に見てもらうようにさせていただいてました。

もう1人の先生は母です。

 

そんな最高な環境で小学校を卒業。

 

中学校は相変わらず大好きなバイオリンばかりで部活はオーケストラ部に入部しました。

 

そこでは私のバイオリン2千万円するとか言うお嬢様ばかりで私はなかなかついていけず。

その事が嫌で反抗期になったり。

今考えると、とんでもない事をしたなと思います。

 

でも中学高校ではオーケストラ部に熱中!!

私が一番好きな曲はマーラー交響曲第5番

色んなところで演奏して楽しかったです。

 

 

そして高校生になり母に告白されました。

 

「アンナはね、小さい頃に日本に来たの。それまではロシアで住んでてね。とても美しい国だったのよ。お父さんは海外で働いてるって言ったけど、本当は国のために戦う勇敢な戦士だったのよ。」

 

え?と私は最初耳を疑いました。

私は何にも知らなかったからです。

生まれてからずっと日本で暮らしてきたのだと、普通の生活が当たり前なのだろうと思っていました。

それ故に酷い事を母に対して言ってしまったこともあります。

そんな感情を押し殺して私は笑顔を保ちました。

 

でも母は詳しい事を話しはしませんでした。

この事を知るようになるのは私がもう少し大人になってから。

 

 

 

大学生の私

 

推薦枠で私は都内の大学に受かりました。

 

女子校育ちの私は共学に憧れており、その話をしたら母に女子大にしたら?と良く言われたものです。

その頃の私は察していました。

きっと母は私を大切にしたいんだと。

 

大学になり自由が増えた事によって母は私の事が凄く心配なんだなと思うようになりました。

 

門限もありますし、異性との交際は認めませんし、バイト等も反対しますが私はそれで良いんだと自分に言い聞かせてた時期がありました。

 

成人式。とうとう私も大人です。

色んな人に祝ってもらってとても幸せでした。

後日初めて母とお酒を飲みました。

私は高校の頃に母から教えてもらった事がずっと気になって仕方がなくとうとう聞いてしまいました。

 

お父さんって軍人?今は何してるの?

ロシアに住んでる頃、紛争してたんだよね?危なくなかった?等

 

聞いて良かったのかな?今でも思う。

私が知る事で母が傷つくかも。それが嫌でした。

でも母酔ったせいか全ての質問に答えてくれました。

 

お父さんが戦死した事

毎日砲弾の音(ずうぅーん)が聞こえて恐怖だったこと

映画の世界のように街は廃墟化してたこと

多くの人が亡くなったこと

そして父方の家族とは別々に母と私2人だけで家や家財を捨てて日本に来たこと

 

他にも沢山聞かされました。

が、忘れてしまいました。酔っ払っていたものですみません....

 

これらを聞いた時は衝撃を隠せませんでした。

私は普通の子供だと思っていて普通の生活をしていただけなのに。

 

私が母に「辛かったんだね」というと「幸せだったのよ」と言われました。

その瞬間私は何故か涙が溢れ、心の中で嘘つき!と叫びました。

でも母は笑っていた。

 

 

母はきっと誰よりも強いのです。

 

 

今の私

 

今私は大学4年生。

あともう一踏ん張りで卒業。

 

私が生まれた場所の環境には死が間近にあるのにどうしてこんなにも恵まれているのでしょうか。

これまでの経験から私はどんな境遇からでも手を差し伸べる人がいれば人は這い上がれるのだなと、手を差し伸べれるような人になりたいと

思いました。

 

今世界では未だに多くの紛争が行われ、その他にも飢餓や疫病で多くの命が失われています。

ロシアに居続けてたら、私もその1人だったかもしれないんです。

 

与えなさい。そうすれば自分も与えられます。

聖書に載っている言葉です。

 

この記事を見てくれた人が今起きてる国際問題に対して考えだけでも持ってくれたら嬉しいです。

見ていただきありがとうございました。

 

 

 

私。あなた。

あなたはどんな人生を歩んできましたか?